昭和47年03月29日 朝の御理解
御理解 解第79節
「商売をするなら、買い場、売り場というて、もとをしこむ所と売り先とを大事にせよ。人が口銭を十銭かけるものなら八銭かけよ。目先は二銭損のようでも、安うすれば数が売れるから、やはりその方が得じゃ。体はちびるものでないから働くがよい。」
これはお道の信心をさせて頂く者の信心姿勢というか、生活態度を教えておられると思うです。これは必ずしも商売人に対するだけのものじゃない。買い場とか売り場とか、二銭よそよりも安く売れば数が売れるからその方が得だとかと、商売人に対する勿論御理解だったでしょうけれども、これはもう、このままが私は信心をさせて頂く、お道の信心をさせて頂く者の信心の態度でなからなければならんと思うね、生活態度。
例えばこういう、生活の態度をとらせて頂くなら、必ず繁盛するでしょう。もうこれはもう絶対繁盛するですね、それをです例えば商売、あのう商売をする、または繁盛をする、いわゆる儲かると言う事、と言う事ではなくて、あのう必ず繁盛する、儲かるということだけが目的ではなくて、神様の大恩をわからして貰いね、神様のお心を分らして貰い、そのお心に添わせて頂こうという姿勢が素晴らしいわけなんです。
だからこれは信心がなくてもです、これは商売人がね、教祖が仰るように信用が、それから売り先を大事にする、しかもよそが十銭で売るものは八銭で売ると言う様ないき方でするならば、もう絶対商売繁盛するとですね。けれどもそのお互い、目先が利いてないもんだから、むしろ十銭で売ったり、十一銭で売るとがおかげのように思うたり、よそよりも高く売って余計儲かろうとしたりして、結局は儲からないように自分で自分の首を絞める様な事にすらなるわけです。
これはもう絶対です。信用がなかっても、例え品物が仕入れて来てから、それをよそより安う売るならですね、もう絶対繁盛するです。そして教祖が仰るんでもですね、数が余計に売れるからその方が得じゃと言う様な、得だというおかげになるです。これはもう決まっとるです。信心なかったっちゃですよ。だから、本当にここんところに開眼してですね、商売人が、目覚まして、本当に、いわゆるお客さん本意と言う様な商売をするなら、絶対商売繁盛する。
ところがねこれは繁盛だけではいかんのですよね、信心の場合は。うんと儲かるというだけではいかんのです。うんと繁盛したり儲かったりする事が、子供に孫にどういう影響を及ぼすかと言う事になってくるとですね、これはどこまでも信心の姿勢が、信心させて頂く者の生活態度、信心させて頂けば、勿論、天地の親神様の大恩がわかり、御恩徳がわかり、神恩報謝の心が、この様な事になって来る時にです、始めて儲かりもするだろうけれども、そこには「神様のおかげで」と言う事に、必ずなって来るのです。
神様のおかげで日々が立ち行くのだ。神様のおかげでこれだけの繁盛のおかげを頂いておるのだと言う事になるのですからね。ですから私は、お道の信心をさして頂く者の、これは信心の姿勢、生活態度だと。御理解45節に「世に、三宝様踏むな。三宝様踏むと目がつぶれるというが、三宝様は実るほどかがむ。人間は身代ができたり、先生と言われるようになると、頭を下げることを忘れる。神信心して身に徳がつくほど、かがんで通れ。とかく、出るくぎは打たれる。」
と言うような、あの御教えがあります。これなんかも、信心させて頂く者の信心生活態度を教えておられると思うんです。いかに繁盛してもいかに儲かっても、思い上がらないと言う事ですね。それこそ身代が出来たり、先生と言われたりするようになると、頭を下げることを忘れる。こう言う事はない訳です。信心させて頂いて、神様の御恩徳がわかり、神様の心が分る様になるとですね、いばったりというかね、増長したり、いわゆる慢心すると言った様な事が、段々なくなる。
それが実れば実るほど、いうならば儲かれば儲かる程、頭が下がって来るという生活態度というものが生まれてこなければいけないけれど、どうでしょうかね。もう少―しエー、儲からせて頂くというかね、お金が出来てくるとね、身分不相応なことをすぐ考えたりしたりするようになるね。持ち物から変ってくる。「あなたは、それだけがたあるか。」ね。これなどはです、もう言うならば、もう頭が高うなっとる証拠です。
昨日ある方が参って来て、最近、なかなか調子が良く、商売の方も繁盛しているらしいね。「先生、このハンドバッグが15万円します」ち(笑い)そうたいして変らんごたったけれど、そういえばそうらしい「ホー、おかげ頂いたのう」ちから。まあだ家も証文に入っておる。ちいった商売が繁盛しちょるちゅうだけのこと。調子良ういきよるというだけのこと「親父が親父なら嫁御も嫁御だな。」と私は思いました。
どうして、人間ちゅうものはこげ、すぐ、ちいっとばっかり調子が良かと、そう言う事を平気でするようになる。それを何でも釣り合うてきたら、それは、そのために贅沢な品でも何でもあるのですからね。そりけん洋服、例えば1万円位のを着とってから、ハンドバッグばかり15万円の(ハッ、ハッ、ハッ笑いながら)ハンドバッグじゃね、釣り合わんです。どう考えたっちゃ。
「父ちゃんが、此の頃、儲かったけん。買うて来てくれた。」と言う様な事ではないでしょうかね。そういうね私はこの信心、あのう生活させて頂く者の態度というものはです、本当に「おかげで」、「おかげで」と言う事にならんです。そういうのは。昨日吉井の熊谷さんがお届けされました。「私昨日、夕飯の用意をするために町に一寸買物に出らして貰いました。途中で杉さん所の前を通らして頂きますが、杉さん、今東京に行ってあります、奥さん、若奥さんの方が。
ほいであのうおばしゃま、この程ばばしゃまが普請してからこっち、もうクーッとしたごたるふうして気落ち状な風で、寝たり起きたりして、もう何を見ても何を聞いても、心が晴れ晴れしくない。もう何かいっぺんに年寄りんさったような感じがする。もう70いくつでしょう。大体、気の強い方で、非常に、その、若い者のようにお花の稽古をしたり、お茶の稽古をしたりする様な事に精進されるおばあちゃんです。
杉さんのお母さん。それが「もうお茶やら、花ももう習おうごとなか」ちゅうごたる風にもうその、いっぺんに年取ってしまいなさったと言う様な風で、あのしとんなさるから、「時々来てから、あの、お話をして下さい」ちゅうて頼まれとったことを一寸思い出さして貰って、まあ一寸寄ろうかと思うて寄らせて頂いた。そしたら大変喜ばれてから「さあどうぞ」と言うて自分の部屋に言われて「熊谷さん一寸聞いて下さい。私はもうこの家ば建てちからね、そりゃまあ見事な家が建った。
もうお庭なんかも、そりゃあ見事なお庭が出来てね、もう本当にそのう何とどこに言いようのないようなお家に住まわせて頂くようになってからこっち、もう何か知らんけどクーッとしてしもうちからね、その家を見るとクウとする」。「これも」まあそうは仰らなかったけれども「これは家相が悪かったんじゃなかじゃろうか」ち、と言う様な事ではなかろうかと、こう思うんですね。
それから、もう能谷さん心忙しかったけれども、とにかくまあお話をしだしたら、もう夕方の用意をスッと忘れて、一生懸命お話をさせて頂いたらです、おばあちゃんが大変、それこそ、もう目を輝かせてお話を頂かれたと。「もう本当に何かこう胸がスーッとして、今夜、ご飯がおいしかろうごたる気がする」ちゅうて言われたそうですね。「杉さん考えてご覧なさい。
これだけ立派なお家をに住まわせて頂いて、こんな立派なお庭を造って頂いて、貴女のお部屋もこんな素晴らしい良いお部屋が出来て、もう本当に、もうどこを見てもここを見ても、とてもとても、お礼を申し上げることばっかりのように私は思うがの」ち。もうこれを聞かれた時にですね、もうびっくりされる位に目が輝いた。どこを見ても、どこを、おばあちゃんの場合は、どこを見てもどこをしてもです、もうそれが気鬱の材料になっとった。「こんな家を建てんが良かった」ち、ごたる風な。
「もう、本当に、杉さん。死んでからお金は持って行こうたっちゃあ、持って行かれんとですよ。ちね。「お金だけ良か。おかんの中に入れてくれんとですよ」ちね。もう本当に、もうそれこそもうこのまま、あちらに行かにゃんとですけん。とにかくこれで助かっとらなければ、それこそ不安でたまらんね。これで助かっておんなさらんとがです、いわゆる家を、良い家が出来すぎたと言う事だけで、もう不安で不安でたまらん。それで今日、私が言うた「おかげで出来た」というのが、一つもないからです。
まあね吉井あちらの財閥と言われる程しの財産家なんです。「おかげで出来た」という。ただやり方が良かったから儲かる。例えて言うとですね、良い品物を安う売ってどんどん繁盛した。もう言うなら理詰めが良うて。そうなんです杉さんのお宅は。だからねああいう理詰めの生き方をしてですね、言うならば商売で言うならばね、良い品物を仕入れて来て安う売りゃ、絶対売れる事だけは間違いなか。繁盛する事だけは。
いうなら、杉さん達御兄弟は、とても財閥と言われる位な沢山の財産を残さ、作られましたわけですけれどもですね、いわゆる人の真似ん出来んような商売をなさっておられるわけですね。確かに他所よりも品物が良いそして安いね。そういう生き方でいけば、もう絶対お金は残るです。ところが信心をしよってもです、十銭の物は十一銭で売るとがおかげのごと思うておるところに、いつまで経っても、おかげを頂かんとです。信心のさして、生活の態度が悪い。
かと言うてです、ならここんところがですね、良い品物を安う売りさえすりゃ、もう絶対、こりゃ商売が繁盛するです。もう絶対です。それをね、私どもがで、鼻先がきたなかもんじゃけんね、いくらでん、より儲かりたいというような気が起こる。そして「商売繁盛のおかげをお願いします」というたっちゃ、一寸それは虫が良すぎですね。ですから私共、信心がいよいよ分らしてそれこそね、78節の最後のところにありますように「神のおかげを知らぬから、互い違いになる」と仰る。
神のおかげを知る、御恩徳を分りね、神の大恩を分らしてもろうて、その神様の大恩に対する神恩報謝の心がですね、神恩報謝のその心がね、社会の役に立たなきゃおられん。お客さんに喜んで貰わなければおられないと言う事になってくる。だから良い品物を安う売ると言う事にもなってくるね。これは商売人だけじゃないです。生活態度です。そういうね。ちょこっとばかり儲かったからね、ハンドバッグばっかりは15万円のハンドバッグを下げるようになったっちゃいかんと言う事ですよ。
信心者、信心者のいうならば、態度姿勢というものがね、形だけじゃいかん。今言う様に、神様の大恩がわかり、お心が分らして貰うから、お心に副わして頂くような生活をさして頂きよったら、お心が分らして頂くからね、少しでも社会にお役に立たせて貰おうとという心が、他所よりも良い品物を仕入れてきて、少しでも安く売らせて頂くことを、自分の信心の喜びとしていくという生き方になれば、必ず繁盛するです。絶対繁盛するですね。だから神様の御恩が分れば分る程、繁盛する事になるのです。
お心が分れば分る程、言うならばね、実れば実る程、儲かれば儲かる程、実る程かがむ稲穂のように、実意丁寧神信心ね。頭を低うして生活していくことになって来るんですね。杉さんと熊谷さんのお話ではないですけど、本当にもうとにかく勿体ないことである。この様な立派なお家に住まわせて頂いて、こういう良い生活をさせて頂くと言う事が、思えば思う程有り難うして有り難うして、勿体のうして勿体のうしてたまらんという生活が、そのままね。
熊谷さんが言われました「もうとても、私だん私でんあなたでん、もう10年も20年も、この家におるちゅうことは出来んとですよ。だからもう本当に、自分で自分の心の中に、有り難い勿体ないを頂いとかなければ、杉さんもう先が恐ろしかね。例えばなら私が貴女の状態に私がならして頂いたらとても、とても毎日毎日が勿体ない、勿体ないという生活さして頂くことじゃろう。」ち。もう杉さん「あの、熊谷さん、済みませんばってん、明日も来て下さい。明後日も来て下さい。」言いよんしゃった。
「でも私もまあ明日、いわゆるそのう家の中を、あんな家じゃあるけれども、守っていきよりますから、そげん毎日ちゅうわけはいかんけれども、まあ出来るだけ来らして頂く」「まあそんなこつ。明日も明後日も来て下さい。」ち言われたと言う事でございますね。本当に自分の心の中に有り難い、勿体ないを啓いていっておる人の話を聞かせてですね、もう、それ以上に有り難い、勿体ないでなからならんはずの貴女がね、あれを見てもこれを見てもクーッとすると言った様なのは、どげん考えてもおかしい。
とにかく心の状態というものは、いっぺんにそういう有り難いことになれるものではない。そこで私どもは信心さして貰う信心の生活態度というものがです、神様の御恩徳がわかり、神様の心がわからして頂いてです、自ずと生まれて来る信心生活の態度。商売をさして頂くならば、少しでもお客さんに喜んで頂くということをモットーにしてのお商売と言う事になる時にですね、もう、これは絶対の理なんです。
そう言う事になれば、それをお互いが話きらんだけですね。他所より儲かると言う事は、他所より高う売らなんごと思うとる。他所より儲かると言う事は他所より安う売ると言う事。そして自分の身はちびれる、ちびれるものではないから、良う働かなければならんと言う事。昨日竹葉会でしたが、久留米の佐田さんが、それこそ言葉少なにお話になっとられました。もう本当に、主人のことをお話をするなら、何時間かけてお話をせなんかわかりません。結婚いたしましてこっちんことを言うなら。
ところが、只今親先生のお話を頂かせていきよるうちに、ずうっと走馬灯のように、自分の頭の中に、結婚して今日までの主人の生活態度というものを思うてまいりましたら、もう本当に、確かにもう親のために、兄弟のためにお客さんのために、いつもいつも一番、こう分の悪いの所を貧乏くじを引いている生き方だった。とりわけあの日田の方が、あぁもういよいよつぶれる、お酒屋さんでしたけれども、あちらがあちらに見に行かれた時に、1本もお酒屋さんに1本の酒もなかったっちね。
そこから、あそこの商売が又一廉の酒屋にならせて頂くのに何年か辛抱させて頂いてから、その主人のいわば苦労というのを実際に見てきておりますけれども、主人はそれを一っつも苦労としていなかったと言う事ね。むしろそこに、楽しいような風がいつもあったと言う事。とりわけ信心をさせて頂くようになってからこの方の主人の商売に、その仕方というのを見ておると、もう只々驚くばかりだと。
それで親先生「和賀心」というのは、自分の心の中に和らいでおるとか慶ぶという心なんですけれども、そのハッキリそういうものではなくてですね、そういう難儀なことが一つも難儀と感じんでいく心を、私はお話を頂きながら「和賀心」であると思いました。主人の生き方がいかに「和賀心」で商売をしておるかと言う事を感じます。と言う事を言って。「本なこつ佐田さんそうのう」と言ってから、私は皆も感心して聞いたことでした。皆さんが、佐田さんの商売の仕方をご承知の方があろうと思うね。
あのういわゆる信心者の生活態度でした。いわゆるそれこそ「体はちびるものではないから」と言うて、もう、例えば、使用人の人達が休んでおる時でも、一生懸命働かれた。で、そこから頂かせて貰うおかげというものは、もうそれっこそ、神様のご都合、お繰り合わせと言わなければおられん程しのおかかげの中に、おかげを頂いておると言う事。こう、主人の私と一緒になってからの、あのー、いろんな難儀と言うか、節と言うか、そういう時に直面した時の主人の態度というものがですね。
素晴らしかったと。思うてみれば思うてみるほど、いうなら神様の御恩徳がわかって、神様のおかげをわからして頂いて、自ずと出来てきたと。これならもう絶対繁盛しないはずはないですね。ですからその調子で、繁盛をどんどんしていくわけですね。その繁盛はです、本当に、神様のおかげでという実感が、いよいよ強うなってくるわけです。ですからどれだけ、億万長者になられてもです、いよいよ頭は下がっていくばかりじゃろうと、こう思うです。
2、3日前もそうでした。丁度昼参って、奥さんが参ってみえられた。今むつやで大売り出しがあっておると、「それで是非来てくれ」と言うけん見げへ行きたいと。それで帰りに寄られました。「お許しを頂いて、小物をひとつ買いたいから」と言う事であった。1万何千円するとが、一寸傷があるから5千円という赤札のそれ、5千円の赤札つきの物を1反買うて来ておられた。
そして帰りに、また帰りにこういう物、を買わせて頂いたと言う事を、お届けされたばってん、それは後から、秋永先生から聞いた話じゃけれどね、そん時の親先生の顔色があんまり良くなかったから「こりゃあ本当に、これは買うてはいけんのでは、なかったろうか」と思うて気にかかって、引っ掛ってたまらんと言う様な事を、話されたと言う事ですけれどもね、今の佐田さんのところに5千円、1万円の着物を、反物を買われたところで、誰が何と言う。
それこそまだ、もっと良い物を買わにゃ釣り合わんという位の感じですよ、言うならばね。私は信心させて頂く者の生活態度というものは、それだと私は思うんですね。ですから、頂かせてもらう物すべてがおかげなのである。「おかげで」「おかげで」ね。その「おかげで」「おかげで」ね、そうならないと、そのう78節の「子孫も続き身代も出来一年勝り代勝りの」になっていかんのです。いいですか、今日皆さんに聞いて頂きたいのはね、「商売をするなら、売り場、買い場というて」とね。
十銭の物は八銭で売りゃ余計売れる。これは絶対なんだとね。それからお互いが商売じゃない、生活の姿勢というものがです、そういう頂く考え方でするなら、必ず家は繁盛するけれどもです、なら繁盛した暁に、立派な家が建った時に、立派なお庭が出来た時にです、それを見るたんびにクーッとする様な事になって来る訳です。神様の御恩がわからず、御恩徳がわからず、お心が分らんなりに儲けだしたんでは駄目だと言う事です。必ずね儲けだせば儲けだす程、上さへ頭が上がっていくですね。
人を軽う見るようになるです。そしてそれをです、例えほんなら子や孫に伝え、伝えていって、どういう結果になるか。もちろんお棺の中に持って行かれん。ほんなら子供に残さずにはおられんが、その子供が、どういう風なことになってくるか。孫んところになってきてどう言う事になるか。私は思うね、本当に「長者3代無し。」と昔から言われておるがです、本当に、おかげでおかげでというところから、繁盛してくるおかげでなからねばつまらんね。
だから例えば、十銭の物は八銭で売らして頂くと言う様なね、「商売をするなら、買い場、売り場というて」、その買い場を大事にさせて頂く実意丁寧な生き方ね、そういう生き方がです、神様のお心がわかるからそう出来る。神様の御恩徳を感じるから、それがそう出来るね。人に喜んで頂くと言う事でも、社会に奉仕すると言う事でもですね、神恩報謝の心がそうなって来る所からですね、次に生まれてくるものは、もう絶対売れる。絶対繁盛する。家が繁盛する。そういう信心そういう生活態度をとればね。
佐田さんの、結婚されてから今日までの、佐田さんという方は、信心の無い前からそういう態度をとっておられた。けれどもそれがどうでしょう。それでもずうっと信心無しに、絶対そういう生き方なら繁盛するとですよ。けれども繁盛するなら、今でも繁盛しておったとして、そんなら佐田さんがご主人の反物をこうやって、とてもそげな傷もんじゃ、身につかんでしょうね。段々繁盛してくる。
億万長者にならっしゃった。それを子供に譲った孫に譲った、というた時のことを思うたら、身がぞっとするごたる感じがする。そういう生き方の中に、「信心が分って、いよいよ御恩徳がわからして貰い、お心がわからして貰うてですね、苦労を苦労と一っつも感じんで、むしろ楽しい心で受けていっておるというあの心こそが、和賀心でなかろうか」と、昨日奥さんが気づいたと言われるようにです、確かにそうです。
この難儀がいつになったらと言う様なもんじゃなくて、その難儀そのものが難儀と、これは私、自分自身が思うとるですね、「まあようあの修行中に、自分にあげな修行が出来たなあ」と思うです。けれども一っつも、私はあのう苦しいと言う事ではなくて、楽しいて楽しいてこたえなかったんです、信心が。ハハアー佐田さんの話を聞いて、ハハアー、あれが、やっぱ和賀心だったなと思うんです。
今から考えてみると、ようあぁいう難儀な所を通らして頂いたなと思うんです。けども、そん時私はほんなら「もうほんに、この難儀からいつ解放されるじゃろうか」と、いっちょん思うとらんです。もう楽しゅうして楽しゅうしてこたえんなりに、おかげを頂いてきた。成程あれが、いわゆるスマートな和賀心だなと言う事になるわけですね。だから問題はです、はまらなきゃ出来んと昨日話させて頂いた事でしたね。
例えばなら私が、「もう神様が私に与えて下さることは良いこと悪いこと甘いこと苦いもの一切黙って受けます」という、どん腹決めたところにです、苦いもんであろうが、臭いもんであろうが、それはもう受けるもんだと決めておるから、平気で受けられたということです。あれが和賀心だったと今にして思うのですね。いよいよ神様のお心がわかり、御恩徳がわからして頂いて、それに神恩報謝の心というものがですね。
いよいよその人の信心、生活になりいわゆる生活の態度にまでなって来る所にです、おかげは絶対のもの。そのおかげであってこそ、「おかげで、おかげで」と言うもう、とにかく、下の方にしか頭が下がらん。ところがそこんところを抜きにしてからの繁盛であるなら、ね、それこそ、釣り合わんこつばーっかり。ちょこっとばっかり金が入ったけん、もう15万円のハンドバッグ買うごたる風になってくるわけです。そりけん脇から見るとおかしゅうなってくる。釣り合わんね。
それでまたその15万円のハンドバッグを質屋に持って行かなんごつ、必ずなるですね。天、天で頭を打つのが一番恐ろしいね。「天は高いから頭を打つことはをあるまいと思おうけれど」ね、「大声で叱ったり手を振りあげたりすることはないが、油断をすな。慢心が出ると、おかげを取りはずすぞ」と、これを45節の最後のところね。いよいよ和賀心というか、信心の心というものを抜きにしてですね、いわゆるこう儲け。儲けだしていくというかね、段々こうしていくと必ずこう言う事。
決して神様は手を振上げたり、そのう天で頭を打つと言う事がないですから。けれどもですね、けれどもね、私どもが信心させて頂きよると「あぁこれはお気づきではなかろうか」「これは天で即頭を打つことじゃなかろうか」と言う様な事が分るのだけれども、信心が無いとそれに気づかん。信心が薄いと。お気づき頂きよったっちゃ「済みません」と言う事にならんです「あぁ痛いよ」と言うち、却って上向いてとるね。
例えば鴨居で一つ頭打ったっちゃですたいね、神様がお気づきを下さりよると思うて、打った途端に「済みません」と言う声になりゃ良かけれども「あいた。」ち、言うてから鴨居どんくらす(ハハハと笑われる)。そんな風になって来るとですよ、信心が薄いと。無かと。だから今んだ大きく、ガチャーンとおかげを、落とさんな欄様な事になって来るわけですね。
私は今日は皆さんにね、信心させて頂く者の生活態度と言う事をね、これは商売人に下さっている御理解でしょうけれども、それはそのまま商売しよるだけのものではない、私どもの上にこれをいただかして頂だかなきゃあならん。そして繁盛のおかげを頂きたいならば、本当に良い品物を安く売るというモットーで商売するなら、絶対繁盛だと。目先の欲を離しての生活じゃなからないけん。そして生れて来るおかげは絶対。
そのおかげを頂く時にゃ「本当におかげじゃ。こがしこ安う売ったっちゃ、こがしこ儲けよる」ちゅうことになって来る。こがしこ目先の、目先のこつを、ちいった良かこつをはずしていきよる。いかにもそれが得するごつあるけれども、それでは一つも得にはならん。却って損にばっかりなって行く事になるならばです、本気で一つ、生活態度を変えさせて貰うね。そしてそこから生まれて来るところがです、低いところへ低いところと、へと水が流れて来る様に。
おかげがそこにしか流れてこないね。贅沢をする様な事はない。人間、実れば実るほど頭がかがんでくる。そういう信心生活態度をつくりたいと思うです。そういうおかげを頂きたいと思うですね、どれだけ儲けだしたっちゃ、身体はちびるものじゃありませんから、そのう例えば働かして貰う。それこそね、使用人にようけ働かせちからね、大将はじっとしとって良かちゅうことは、絶対ない。
これも佐田さんの生き方にを見よるなら、「番頭より、小僧さんよりも、うちの主人が一番働きよる」ち、佐田さんの奥さんが昨日言うとられます。まあいかに大変佐田さんの事をね、これはしかし佐田さんのものですから、佐田さんは佐田さんで、そこから色々反省される事もありましょう。けれども私たちが言い、また聞かせて貰う生き方はです、段々信心さして、信心が深くなっていかれるに従ってです。
そういう信心者の生活の態度というか、持って生まれた性分の上にです、信心が頂かれて行く所に、いよいよ良いものに育っていっておるという風に感じるのです。これで良いと言う事は、決してありません。もう限りが無いのですから。いよいよ私どもの信心、あのう生活の態度というものを、もう一ぺん検討してみてですね、それこそ、今日からでも、十銭の正札が着いておるなら八銭に貼りかえる位の気持ちが要るのです。
これが商売人のことだけではありませんよね。こういう例えば、目先のきたないことばしよる、そう言う様な事をですね。本当に十銭のものに十一銭の正札を着けておるような生活を、私どもはしておらんでしょうか。そう言う事では、決して繁盛にもなりませんし、よし繁盛になったところでです、その繁盛がかえってさみしいものになってまいりますね。それは却って子供に孫にですね、ばい菌の着いた食べ物を残すような結果にしかならんのですよね。
どうぞ。